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名古屋地方裁判所 昭和55年(ワ)1741号 判決

原告

斉藤光和

被告

愛知県

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(申立)

第一原告

一  被告は原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年七月一〇日より支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

第二被告

主文と同旨。

(主張)

第一請求原因

一  本件交通事故の発生

(一) 日時 昭和三六年五月一六日午後五時四〇分ころ

(二) 場所 愛知県知多郡武豊町大字東大高字北浜田地内県道上三差路(現在同所旭ガラス門前)

(三) 加害車 愛知県半田警察署普通自動車

右運転者 同右当時署員久野高義

右同乗者 同右当時警ら交通課長林豊稔

(四) 被害車 第一種原動機付自転車

右運転者 原告

(五) 態様 被害車が西方面から東進し前記交差点にて左折後、おりから南進中の加害車が右交差点手前にて前車を追越しのため、反対車線に侵入し被害車と衝突した。

原告はその衝撃によつて右側路上に転倒し頭部および左下肢に傷害を負つた。

二  責任原因

(一) 被告は加害車を所有し、本件事故当時これを自己のために運行の用に供していたので自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)第三条による責任がある。

(二) 加害車は本件交差点手前での追越しのさい、前方注視を怠つた過失により本件事故を惹起させたものであるが当時右運転者は被告の警察署員として職務の執行中であつたから、国家賠償法第一条による責任がある。

三  損害

(一) 右事故による傷害のため、原告は昭和五四年八月ころより前記頭部外傷の後遺症による激しい頭痛と歩行困難な状態となつたので、昭和五四年一一月一六日名古屋第一赤十字病院にて診断の結果、身体障害者第三級と認定され、これは自賠法の後遺障害別等級表の第三級の三に相当する。

なお、原告は現在名古屋大学医学部附属病院に通院治療中であるが治癒する見込は全くない。

(二) 逸失利益 金八三二万五〇〇〇円

原告は職業を持つていなかつたが、平均月収金一〇万五三〇〇円の収入を得る能力を有していたものであるが、前項後遺障害のため、その労働能力の一〇〇パーセントを喪失したので現在原告は六一歳で、その就労可能年数は八年と考えられるから、将来の逸失利益をホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると金八三二万五〇〇〇円となる。

(三) 慰謝料 金九四二万円

本項(一)による後遺症慰謝料として金九四二万円が相当

四  よつて、原告は被告に対し前項損害合計金一七七四万五〇〇〇円の内差当り金一〇〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年七月一〇日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二請求原因に対する答弁

一  請求原因一の事実中(一)ないし(四)の事実は認める。但し事故発生時間は午後五時四〇分頃である。同(五)の事故の態様中、加害車が本件三差路手前で前車を追い越そうとして反対車線に入つたこと、加害車と原告車が接触し原告が路上に転倒して頭部に負傷した事実を認め、その余の点は争う。

二  同二の(一)の事実及び同二の(二)の事実中、本件事故当時加害車の運転者は被告の警察署員としてその職務の執行中であつた事実を認め、その余の点を争う。

三  同三の事実中、原告は本訴提起当時満六一歳であることを認め、その余の事実は知らない。

第三被告の主張

一  本件事故に関し加害車の運転者久野高義(以下久野という。)に過失は無く、もつぱら原告の過失によつて発生したものであり、加害車に構造上の欠陥又は機能の障害が無かつたものであるから、被告には自賠法上も国賠法上も責任がない。すなわち、

1 本件事故は南北に走る幅員約五・九メートルの県道と有効幅員約一・七メートルの町道が直角に交差する交通整理の行われていない三差路(以下本件三差路という。)付近で発生した。

2 久野は加害車を運転して県道を南進し本件交差点の手前約五〇メートルにさしかかり、このとき同一方向へ時速約三〇キロで進行する先行車があつたが前方の見通しは良く対向車もなかつたので、ハンドルを右に切り時速約三五キロに加速して追い越しにかかり、本件三差路の手前約六メートルの地点で右先行車の右後部付近に達したとき、原告車は前記町道から徐行することなく時速約二〇キロで東進して本件三差路に進行してきた。

3 久野は右地点で原告車を発見して急ブレーキをかけたがまにあわず、本件三差路内で原告車の前部と加害車の右前部が衝突した。

4 以上のように、本件三差路は交通整理が行われておらず、加害車の進行する県道が原告車の進行する町道よりはるかに広く、当時の道路交通法三六条により、原告車は徐行する義務があり、かつ加害車の本件三差路への進行を妨げてはならない義務があるのに、右いずれの義務をもはたさなかつたものである。

二  被告と原告との間に昭和四〇年三月九日、金一一五万円を支払うことによつて本件事故に関し双方が今後一切の請求をしない旨の示談が成立した。右示談は原告の代理人亡森田久治郎弁護士と被告側は愛知県警察本部警務部警務課企画調査官警視鈴木武義との間で交渉が続けられ、被告が原告の後遺障害を自賠法後遺障害等級第三級と仮定し、当時の最高保険金額である金一〇〇万円に森田弁護士の旅費日当相当分として金一五万円を加算した金額を示談額としたもので、本件事故に関する全損害につき一切の解決をなす趣旨であり、被告は同金員を支払つた。なお、右示談の際作成した示談書(乙第二号証)の作成名義は原告及び巡査部長久野高義となつているが、当時本件事故が同人の公務執行中であつて事故責任者は被告であることは明らかであつたのであり、本件事故が久野の個人的な不法行為として処理されたものでないことは明白であり、被告は部内処理のうえ被告の予算支出科目の「報償費」から右金員を支出したもので、当事者双方とも原告と被告との間の示談であることは疑う余地がなかつた。(なお後記原告の本件示談は意思表示に要素の錯誤があつたとの主張事実は否認する。)

三  仮に原告の主張する後遺症状が存しこれが本件事故に起因するものとしても、その後遺障害に対する損害賠償請求権は時効によつて消滅している。すなわち、原告は本件事故による受傷後、石川病院を経て昭和三六年九月七日から頭部外傷後遺症の病名で名古屋大学医学部附属病院に通院していたが、同四二年一一月一七日に通院をやめ、遅くともその頃症状は固定したものであるところ、原告はその頃本件交通事故の加害者及びその損害を知つたものというべきであるから、その時より消滅時効は進行した。

第四被告の主張に対する原告の答弁

一  被告の主張一を争う。本件事故は本件三差路内で発生したものではない。原告車が町道を東進してきて一旦停止し、左右の安全を確認してから左折し徐行しながら北へ約八メートル進行した地点で前方不注視のまま対向車線に入つた加害者に衝突されたものであり、むしろ加害車の一方的過失により発生したものである。

二  同二の示談成立の事実は否認する。

1 仮に被告主張の示談書(乙第二号証)に基づく示談が成立したとしても、その当事者は原告と久野との間の示談であつて被告との示談ではない。右示談書には、当事者の一方が地方公共団体である被告であることの記載も、そうであることを推認させる記載もない。また、示談交渉にのぞんだ森田弁護士は原告の後遺障害等級を三級と仮定し、その損害として慰謝料のみならず逸失利益の支払を要求していたものであり、原告は当時四二歳の働き盛りであつたから逸失利益の期間は少くとも二〇年間は存するものとされた筈であり、その額は示談額金一〇〇万円をはるかに上廻るものであつた。したがつて、右示談書には「見舞金」と記載され、示談の範囲は、本件事故の全損害を解決するものでないことを示している。以上の点からみると、本件事故は、あくまで久野の個人的な不法行為として処理され、被告は損害賠償の当事者とならず、ただ久野の警察官という身分を考慮して文字どおり「見舞金」を出金し、その範囲で原告と久野間の示談をあつ旋したにすぎない。

2 仮りに右示談が原告と被告との間に有効に成立したとしても、原告の意思表示に要素の錯誤があり無効である。

すなわち、右示談の当時原告は頭部負傷による脳器質障碍からくる後遺症状があることは観念されていたが、当時は日本油脂に勤務しており、示談にあたつてもある程度勤務できることを前提としていたものであつた。ところが示談後、予期に反し症状は悪化し、昭和四二年頃永年勤めた日本油脂を退社し、激しい頭痛に終日悩まされ歩行すら困難な状態となり、昭和五四年一月一六日名古屋第一赤十字病院で診断の結果、身体障害者第三級と認定され症状治癒の可能性はなくなつた。現在下肢がまひし、日常の生活すら一人では不可能な状態である。

このような経過からすれば、原告は右示談成立の当時後遺症の程度の認識について錯誤があり、示談の意思表示の要素に錯誤があつたというべきである。

3 また仮に、示談そのものが有効であつたとしても、原告は示談後の重大な障害の発生を予見しえなかつたものであり、示談による損害賠償請求権の免除は、本訴請求分には及ばない。

三  同三の時効消滅の主張を争う。

原告の本件事故による症状は昭和四二年一一月一七日に固定したものではない。原告が右日時に通院をやめたのは、病院の診療態勢が変つたためそれまでの担当医の治療が受けにくくなつたためやむなく通院を断念したもので、原告が昭和五四年一月一六日名古屋第一赤十字病院で、身体障害者第三級と認定された段階ではじめて症状は固定し、原告はその損害を知つたものであり、本訴請求に係る損害賠償請求権については時効による消滅の余地はない。

(証拠)

本件記録中、証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  昭和三六年五月一六日愛知県知多郡武豊町大字東大高字北浜田地内県道上三差路(以下本件三差路という。)付近で、当時被告半田警察署員久野高義(以下久野という。)運転の被告保有の普通自動車(以下加害車という。)と原告の運転する第一種原動機付自転車(以下原告車という。)が衝突し、原告が路上に転倒して頭部に負傷したこと、本件事故当時久野は被告の警察署員として職務の執行中であり、被告は加害車を自己の運行の用に供していたことは当時者間に争いがない。

二  しかるところ被告は久野に過失がなかつたと主張するので検討するに、成立に争いのない乙第四号証の一ないし三、原告本人尋問の結果により本件三差路付近の写真と認める甲第四号証の一ないし六、証人久野高義の証言を総合すると、本件三差路は南北に走る幅員約五・九メートルの県道と幅員約一・七メートルの町道が西より東に向け直角に交差する交通整理の行われていない交差点であるところ、本件事故は、久野が加害車を運転して県道を南進中先行車があつたので時速約三五キロで追い越しにかかり反対車線に入り本件三差路の手前約六メートルの地点で先行車の右後部で並進することになり、同時に町道から本件三差路に出て来た原告車を発見し急ブレーキをかけたが間にあわず本件三差路付近で原告車の前部と加害車の右前部が衝突して発生した事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果及び斎藤志なの証言は措信できず他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、加害車が先行車を追い越すにあたり、その右前方にある町道より本件三差路に向け進行してくる車両等に対する安全確認を怠つた過失があつたものと認められ、一方原告にも狭路より広路に出るにあたり広路の車両の進行の安全を確認する義務を怠つた過失を否定できず、結局本件事故は双方の過失によつて発生したものであり、被告は原告に対し自賠法三条、国賠法一条により原告の受けた損害を賠償する義務が発生した。

これに対する被告の自賠法三条但書の主張は右に述べたところから採用できない。

三  そこで被告の示談成立の主張について検討する。

原告作成部分について成立に争いがなく、その余の部分については証人久野高義、同鈴木武義の各証言によつて成立を認める乙第二号証及び右各証言を総合すれば、昭和四〇年三月九日被告県警察本部において、当事者を原告及び元半田警察署巡査部長久野高義とし、本件事故に関し「愛知県」が原告に対し見舞金として一一五万円を贈り、今後当事者双方如何なる名義を問わず一切の要求を行なわない旨を約した示談書(乙第二号証)が作成され、右各当事者が署名押印し、原告側立会人として亡森田久治郎弁護士が、久野側立会人として被告警察本部警務課鈴木武義がそれぞれ署名押印した事実が認められる。

これに対し原告は右示談は原告と久野個人との間の示談であつて被告との示談でないと主張するので更に検討するに、成立に争いのない乙第三号証の一・二、弁論の全趣旨により成立を認める乙第五ないし第七号証及び前記久野、鈴木各証言を総合すると、右示談は右森田弁護士が原告の代理人となり被告より特命を受けた被告県警本部警務課企画調査官警視鈴木武義との間に十数回にわたり交渉を重ねた結果、被告より金一〇〇万円を原告に、金一五万円を森田弁護士に支払うことで合意が成立し、鈴木が知事部局と相談して被告の予算支出科目の「報償費」から右金員を出捐し、当時の被告の職員による同種の交通事故処理の書式に従つて本件示談書案を作成し、前記日時、場所に集り両当事者並びに森田弁護士及び鈴木が、署名押印したこと、右示談交渉の過程において原告自身も森田弁護士も本件事故による損害賠償金の拠出は被告からなされることを前提としていたこと、久野自身は一切関与していなかつたこと、以上の事実が認められ、以上によれば原告の代理人森田弁護士は本件示談の相手方は被告としていたものであるものと推認され、示談書の当事者の記載が久野個人となつていたが、実質的な当事者は被告であつたものと解され、証人斎藤志なの証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

四  しかるところ原告は、右示談は意思表示の要素に錯誤があり無効である、ないしは右示談の効力は本訴損害賠償請求に効力を及ぼさないと主張するのでこの点につき併せて検討するに、成立に争いのない甲第二、三号証、第五、六号証、乙第四号証の一ないし三、前記鈴木、斎藤各証言及び原告本人の供述(但し、右斎藤証言及び原告の供述中、後記措信しない部分を除く。)を総合すると次の各事実を認定できる。

1  原告は、本件事故により頭部及び左下肢に受傷し、直ちに石川病院に入院して頭部の割創の縫合手術を受ける等して約一〇日後に退院し、自宅療養を経て、当時の勤務先である日本油脂株式会社に出勤したが、頭痛や歩行困難があつて正常な勤務につくことができず、ただ退職を避けるため出、欠をくりかえし、傷病手当を受けていた。

2  その頃から名古屋大学附属病院の精神神経科に通院し、治療を受けたが頭痛が激しく、頭の中で蝉が泣くような状況があつて睡眠が十分でなく歩行困難があり、同病院の医師より脳器質障碍による症状であつて、右症状は固定し、治癒は不可能と診断された。

3  そこで森田弁護士に委任し前記示談の交渉に入つたが、同弁護士は前号の症状は固定し原告は一生就労できないことを主張し、一方被告側の鈴木は右後遺症状を自賠法施行令別表第三級相当と主張したが、結局同表の第一級の金額一〇〇万円の支払いを同意して、本件示談となつた。

4  原告は右示談後も前記精神神経科に通院したが、昭和四二年一二月二四日これを打切り、その頃前記勤務先を退職した。

5  その後原告の前記症状は消長をくりかえし、昭和四九年から同五一年にかけて、肝臓障害、肺炎等により数回入院した。

6  そして、昭和五四年八月より再び前記精神神経科に通院するようになつたが、その症状は前記後遺障害と同種であり、ただ易怒性等の性格変化があり、向精神薬の投薬治療を中心とするものであつた。

7  原告は、昭和五四年一一月一六日、名古屋第一赤十字病院で診察を受け、頭部外傷後遺症による両下肢麻痺で身体障害者福祉法別表第三級に相当と診断され同法に定める手帳の交付を受けている。

右認定事実によれば、原告が本訴請求の根拠とする昭和五四年一一月一六日以降の症状は本件交通事故の頭部外傷の後遺症であると認められるが、右後遺症は右2号で認定のとおり、本件示談成立前にすでに発生し固定したもので原告の代理人森田弁護士は同事実を認識し、同事実に基づき示談を進めてきたものと考えられるから、同代理人において錯誤があつたものとすることはできない。もつとも本件示談当時の原告の歩行困難な状況と現時点でのそれとでは後者の程度が重いのではないかとも考えられるがその間の一五年余の原告の加齢の事実を考慮すれば右認定を左右すべきものではない。斎藤証言及び原告の供述中、右認定に反する部分は措信しない。

そうとすれば原告の要素の錯誤による無効の主張は採用できない。また、右示談を有効としながら、その効力は本訴請求分に及ばないとの主張は右各認定事実からすれば採用の余地はなく、他に右主張を肯認するに足る証拠はない。

五  以上の次第で本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないので、これを棄却することとし、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅野達男)

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